日本語教育実習:レポート

TIJで日本語教育実習を学んだ方のレポート

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実習コース修了レポート1

大谷洋子

川崎市で日本語ボランティアを2年ほどしているが、夫が海外転勤となり、私もついていくこととなった。現地で日本語を教える仕事がしたいと思い、学校での教え方を学ぶため、TIJの実習コースを受講した。

TIJで実習をしたいと思ったのは、その教授方法に期待があったからである。TIJの創設者である高柳先生には、私達ボランティアの活動にも助言をいただいており、先生の教えがグループの大切な指針となっている。先生に出会った時にお聞きした、「学習の中心は、学習する人の頭の中にある、伝えたいことのイメージです」という言葉は今も深く私の胸に残っている。また、所長である広瀬先生には、外国人児童の日本語支援の研修で模擬授業を見せていただいたことがある。生徒の頭の中を覗き込んだかのような自然な流れの授業で、普段話さないと言われた生徒がまるで魔法にかかったように活き活きと話している姿を目にし、一同感服したものだった。ボランティアと学校とでは異なる部分があるものの、場面を重視する、言いたい気持ちにさせる、自分の発想を言葉にするなどのアプローチについては共通する部分があるのではないかと思った。そして、その予想は当たっていた。

授業を見学する中で気付いたのは、テンポがとても良いということだった。学生も集中していてどんどん声も出ていた。しかし、私が学生の前に立つと、メリハリのない物言いのためか、学生の声を出づらくさせてしまった。リピートさせることに私が“言わせている感”を感じていたのもよくなかったと思う。言わせているのではなく、口頭で言う練習をしている、何のためにこの活動をしているのかという目的意識が足りなかった。先生からは、学習者を後ろからサポートするだけではなく、3ヵ月後、6ヵ月後、1年後にどんな日本語を話していて欲しいかというイメージを持ちながらそこへ引っ張っていくという信念を持つことが大事だとお聞きし、それが授業における教師のパフォーマンス力や授業のメリハリに通じるということを感じた。

授業の中では幅広い意味で対応力も必要だと感じた。実習では、学生から思ったような反応が返ってこなかったり答えづらそうにしたりしていた時に、状況設定をもっと現実感のあるものに強化したり言葉が出てくるような声かけをしたりすることが必要であったのにその場で対応することができなかった。また、学生の発言の意味がわかりづらいとき、私が想像をめぐらせてもよくわからないという場合でも先生方は真意をキャッチしておられたので、学生との付き合いの長短の差はあるものの、私とは想像範囲の広さが違うのだと思った。学生の発言の真意がわかってから、その状況や気持ちを表す適切な表現をその場で提案する力や、学生から出てきた言葉がコロケーションとして普通に使う言葉かどうかを瞬時に判断する力も必要で、もっと言葉を勉強していかなければならないと感じた。また、先生方は、学生が言葉を発しないでいる場合でも、学生の心に浮かんだ疑問を察知して、その場で消していくようにしながら授業を進めていることを 知り、私もいつかそのような力量を身に付けられたらいいなあと思った。また、学生との1対1の会話の時は特に、学生の発言を受けて一言感想を返すとか具体的に話を聞くとか、受け止めて返すという力を身に付けて、学生と楽しく会話をしていきたいと思った。

実習の準備の中では、文法・文型の分析とどのような話題や場面でそれを導入していくかを考えた。どういう気持ちで話したいからその文型を使うのかを伝えたかったが、十分にはできなかった。また、事前の分析が足らなかったために、学生から返って来た言葉から学びを深化させることもできなかった。十分な説明ができず今でも申し訳なく思っている。母語なので自然に言えてしまうことが落とし穴で、自分で気が付かなかったことは説明できないのだとしみじみ思った。学生にとって身近でわかりやすく、自分のこととして考えてもらえるような話題や場面を考えるのは、かなり時間がかかった。学生が実生活で使いそうなもの、あるいは経験したことがありそうなものにすることがポイントだったと思うが、想像力と創造力の両方が足りなかったと思う。それでも丁寧に教案指導していただいたおかげで何とか実習をすることができた。

授業の中で何かうまくいかなかったとき、どこが悪かったのか第三者の目で意見を言っていただけるのは大変ありがたかった。この場をお借りして、貴重な助言をいただいた先生方に感謝申し上げたい。また、快く授業を見学させていただいた先生方、私の実習に付き合ってくださった温かい学生の皆さんにも感謝申し上げたい。

 

実習コース修了レポート2

吉松眞弓

この夏学期、TIJで教育実習を受けた。

十数年前、都内の専門学校で日本語教師養成・専門実習コースを1年半受け、コース修了後、そのままその学校で日本語教師として2~3年間仕事をしていたことがある。

その専門実習コースでは、講師として高柳先生をはじめ、広瀬先生、阿字地先生、市川先生が授業を担当してくださっていた。仕事を始めてからも、先生方には色々な事を教えていただいた。TIJの開所イベントのお手伝いにも参加した記憶がある。出産と同時に仕事を辞めてからも、TIJのことは気になっていて時々ホームページをのぞいては、お元気そうな皆さんの活躍を拝見し、嬉しく思っていた。

今年になって、ふと皆さんにお会いしたくなり、思い切ってTIJに電話をかけた。それから、授業を見学させていただいたり、夏学期には教育実習コースを受けたり・・・と十数年ぶりに日本語教育の現場に立たせていただくこととなった。

久しぶりに伺ったTIJは、開所当時の印象と比べて活気に満ちていた。初・中・上級そして一般の多くの学生達が学び、個性あふれる先生方が笑いの絶えない授業をされていた。先生方のご好意により、たくさんの授業を連日見学させていただき、授業の運び方、文型の導入の仕方、絵カードの使用法、板書の仕方、口頭練習のさせ方など、いろいろな事を勉強させていただいた。ふと気づくと導入がどんなふうだったか意識しないまま、その日の文型に入っていたり、学生達と一緒に授業の中に引き込まれて笑ってしまったりしたことが、一度や二度ではなかった。どの先生の授業も、とても自然で、そして明るく楽しく進んで行き、授業が終る頃には、学生はその日の文型で作文まで書けるようになっていた。初級には初級の、中級には中級のそれぞれ授業の違った運び方がある。もちろん学習内容もさまざまで、教師はそれぞれに適切な指導ができるように準備し対応する事の大切さを授業見学を通して先生方から教わった。 全8回の実習も経験した。たくさんの先生方の素晴らしい授業を拝見していたので、私に学生の集中力を引きつけ、個々の学生の理解度を測り授業をまとめ上げることができるのだろうかと、実習前には少し不安になっていた。

実習の準備として、まず教材分析をした。教材分析といっても、何をどうしたらいいのかわからず、ただ繰り返し読み、どのような時に自分は使っているのか、どんな文で使っているのかをよく考えた。そして、担当の先生のご指導を受けるまでに、たくさんの例文を作ってみた。が、どれもこれもしっくりこないものだった。それは、なぜか・・。私の作った文では、学生達はその文法や文型の意味をあまり実感できないのではと思われた。私の例文は、普段の自分達、特に学生達の生活には直接関係のないような文ばかりだった。ただ文を作ることだけを考えて、この文型の入った文法的に間違っていない文ばかりを作ってしまっていた。学生がこの文型を使えるようになるために出す例文、なるほどそうやって使うんだと、ストンと入っていく文を作るという目的を置き去りにしてしまっていた。 それからは、少しずつ学生の目線に立って、身近なところから題材を拾って文を作る事を心がけた。

教材分析のあとは、教案を作成した。確か、言葉をうまくコントロールできるよう、そして学生の反応や質問なども予測しながら、板書するものも分けて書いたりしたような・・と古い記憶を頼りに書いてみた。時間配分も難しかったが、分析した文法・文型をまずどのように導入するかが、一番難しかった。押し付けにならないよう、言いたい気持ちにさせる。言いたいと思っている時にぴったりの文型を与える。そういう状況を作りだしたかった。実習前日にはリハーサルもした。絵カードの扱い方、板書の仕方、テープの使い方などの練習をした。実際にやってみると、板書することがまとまっていなくて読みにくかったり、書く場所もすっきりしなかったり、カードをスルスルと落としそうになったり・・と頭で思い描いていたよりも、実際にやってみると難しかった。これは授業中の自分の動きを確認するためには、必要だと思った。教師が十分に準備をせず、授業であたふたとするのは、学生に対し大変失礼なことだ。

先生のご指導もあり、なんとか第1回目の実習を終えた時には、その授業がよかったかどうかは別として、忘れかけていた充実感で胸がいっぱいになった。でも、それは一瞬のことで、そのあと自己嫌悪感が大きな波のように私を襲った。

その日の反省としては、緊張のあまり声が小さかったこと、頭が真っ白になって細かく言葉を考えていても教案通りにできなかったこと、学生からの質問や発言に対してその場でぴったりとした返答をしたり、その発言を取り上げてみんなで共有するような対応ができなかったことだ。それから口頭練習のさせ方にも課題が残った。おざなりの、言わせるだけの口頭練習では意味はない。次回の実習では、この反省を生かせるようにしようと決心した。そして、毎回1つ1つ自分なりに課題を決めて実習をした。どの回をとっても一つとして、納得できる満足のいく授業はなかった。学生の発言を拾って、クラスで理解できたと思った日は時間が長引き、次を担当される先生に多大なご迷惑をおかけしてしまった。あまり緊張せず、楽しくできた時は自分の説明や発言が多すぎて、言葉のコントロールができなかった。が、七転八起、何度転んでもただでは起きず、何かをつかんで前に進みたい。この経験は今後の私の支えとなることだろう。

いたらぬ私をどのクラスの学生も温かく受け入れ、助けてくれたことに本当に感謝している。実習中、学生達はまじめに予習をしてきては、「先生、何て言って欲しいの?」というような目で私を見つめて、一生懸命に発言してくれていた。学生にわかりやすく楽しい授業ができたかどうか自信はないが、学生の理解と協力のおかげで実習コースを修了することができたとありがたく思っている。 これからは、わかりやすく楽しく、そして自分らしい授業のできる教師を目指し、TIJの各先生方を目標として、謙虚な気持ちを忘れず日々勉強と努力を続けていきたい。

若い大学生の実習生とは違い、頭の固くなった私を優しく見守り、ご指導くださった広瀬先生、市川先生、阿字地先生には、心から感謝を申し上げたい。そして、貴重な授業を快く見学させてくださった先生方にも末筆ながら御礼申し上げたい。 

 

実習コース修了レポート3

関江梨子

今回、TIJの実習コースを受講しようと思ったきっかけは、単純に日本語教師としてのスキルを身につけたいという気持ちからでした。

市のボランティアとして外国人に日本語を教えるようになって5年目に入り、今春より技能研修生に日本語を教えるという仕事をさせていただくようになり、今まで、教授法について書かれた色々な本を読み、工夫しながら授業を進めてきたつもりでしたが、いつも「これでいいのだろうか」「どうすればもっと早く日本語を話せるようにできるのだろうか」「私のやり方ではまずいのではないだろうか」と様々な不安が湧いてきました。そんな中、6月から10月ごろまで、研修生の入国がないという連絡を受け、この機会に是非自分の勉強がしてみたいと思いました。

はじめは、文法的なことや教案の書き方、授業の進め方を教わるのだろうと思っていましたが、そうではありませんでした。日本語学校の授業というものを今まで見たことがなかった私は、TIJの授業が私の想像とはあまりにも違っていたのに驚きました。

それまで日本語学校の授業というものは、まず文法をやり、それに沿って代入練習や変換練習を機械的にやっているのだろうと私は思っていたのですが、TIJの授業は「気持ち」をとても大切にするというものでした。

初級の学生たちはもちろん語彙はありません。従って、こちらから語彙や文型を提示していくのですが、ただ単にこの状況の時はこの言い方というやり方ではなく、まず、学生を言いたい気持ちにさせる、そしてその気持ちになったときにぴったりの日本語を提供する、というものでした。

初級の授業では、先生方が学生をその気にさせるため、写真や絵カードは勿論、話し方まで、工夫されていて、思わず私自身も学生の一人になったような感じになってしまいました。全員が同じように進歩していくわけではなく、やはり呑み込みの悪い学生もいるのですが、先生方はそういう学生が授業中傷つかないよう、当てる順番や内容に気を配られていたのも勉強になりました。授業を見学させていただき、なんとなくですが、授業の進め方がわかったようなつもりで、実習に入ったのですが、実際自分が前に立ってやってみると、準備してきた例文を忘れたり、一つの文型練習を一人一人に答えさせたりで時間がかかりすぎたり、板書が見にくかったり、反省点だらけでした。教案準備の段階ではあれもこれもとたくさん写真を用意したりしましたが、数あればいいというものではないということも実習を通して痛感しました。

初級の実習が終了し中級の実習に入るのですが、これまで、ボランティア教室でも研修生の授業でも、中級をやったことがなかったので、初めて中級を見学させていただいた時の驚きは大変なものでした。先生が出される例文が学生の生活に直結していて、とてもわかりやすいものであったこと、また、学生が言わんとする少し変な日本語を的確にとらえ、いちばん自然な形の日本語にして、学生に返してあげるということをとても自然にされていたことに本当に驚きました。「こんなこと私にはできないんじゃないか」と不安にもなりました。 中級の教案を作るにあたって、まず分析がとても大事であることがわかりました。

日本語には、同じ事を表現するのに表現の仕方が違うものがたくさんあること、そして、それら の中にはお互いに言い換えが可能であったり、または言い換えができなかったりするものがあるということ、その違いはその表現を使うときの「気持ち」の違いだということに気づかされました。私たちは無意識に日本語で話しているようでも、その中には気持ちがしっかり入っていて、その気持ちが日本語という形をなして外に出て行っているんだと思うと、外国人に、気持ちがわからずに日本語を話せというほうが無理だと、気持ちがわからずに自然な日本語ができるはずがないと思いました。

そして、「気持ち」と日本語を一致させるために、こちらが一方的に例文を出すのではなく、学生と一緒になって、例文を作っていく、まさにその現場も見せていただきました。

「気持ち」がわかれば、少々変な言い方でも、学生が出すことばは大きく的を外れることはありません。そこでこちらが、自然な日本語にしてあげれば、学生の気持ちと日本語がピタリと合わさって、その言葉はその学生のものになる。

この実習を通して、「気持ち」が大切であるということ、そして、その「気持ち」を伝えるために大切なものは、授業をするときの「空気」であるということを気づかされました。

授業は与えるものではなく、学生と一緒に作り上げていくものだということがわかったことは、私にとって、大きな収穫です。

このことをこれからも忘れずにいたいと思います。

最後になりましたが、授業を見学させていただいた先生方、昼食時にいろいろなヒントをくださった先生方、そして教案指導をしてくださり、大切なことは何かを教えてくださった広瀬先生、阿字地先生、市川先生に感謝申し上げます。

本当にありがとうございました

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