実習コースを終えて2
祐川知子
市の日本語ボランティア養成講座であるベテラン講師の模擬レッスンを見て以来、自分の教え方に不安を抱えていた私は、いつか時間ができたら実習を受けなければと考えていた。そのチャンスが巡ってきたとき、できるだけ多くの授業を見学できそうな学校を探してたどり着いたのがTIJだった。初級の段階から自然なコミュニケーションを重視した独自の指導方針については全く知らずにした選択だが、今ではTIJで実習を経験できて本当に良かったと感謝している。
約3ヶ月の実習期間を通して多くのことを学んだが、一番は授業準備の大切さであった。特に準備をする際に、学習者の頭の中まで覗き込むかのように想像力を働かせることの大切さを実感できたことは、今後どんな形で日本語教育と関わるにしろ、大きな収穫だった。以前の私の授業準備と言えば、辞書や文法書をひっくり返して教える項目の「正しい」文法的知識を自分の頭に詰め込むことが中心だった。レッスン中は、初級なら教科書の例文通りに言えるようにすることで、中級なら学習者に「わかった」と言わせることで自分が満足して終わっていたように思う。
そんな状態だったので、初めは教案を書くのも大変だった。前半は初級クラスが対象だったが、映画の脚本のように細かく書きすぎてどこに何が書いてあるか分からなくなったり、コンパクトにしすぎて自分が何をしたかったのか思い出せなくなったり。何とか仕上げた教案を持って教案指導に臨んでも、初めは先生の前で模擬授業をすること自体が恥ずかしくて仕方なかった。また、学習者のどんな反応を予測しているか、予測している反応が返ってこなかった場合どう進めるつもりかという先生からの問いかけに、何も答えられず下を向いてしまうことが多かった。教室の様子や学習者の顔を思い浮かべずに教案を作成している自分にすぐ気付いたが、その改善は簡単ではなかった。TIJの授業見学で純粋に一学習者として授業を楽しんだ体験に助けられ、徐々に想像力を働かせながら教案を書くことに慣れていったが、まだまだひとりよがりで的外れなことが多いと思う。それでも、ここで先生に気付かされたことは私にとってとても大切な財産だ。
中級の教案作成では扱う表現にぴったりの例文を探し出すことが中心課題だったが、想像以上に難しい作業だった。教科書にすでに専門家が最適と判断したであろう複数の例文があるのに、まだ必要なのかとすら考えていた私が提出した例文は、ほとんどがあけなく玉砕した。勉強不足で文法的な理解が不足していた面ももちろんあるが、一番の原因は、ある表現が含まれた文を作りその例文を並べればいいと安易に考えていたことだった。学習者がその例文の意味する内容を自然に思い浮かべるような文脈や場面の設定ができていないことを繰り返し指摘された。はじめはよく分からなかったのだが、自分が実習をするつもりで取り組んだ項目の授業を見学した時に、はっきりと理解できた。それまでの学習者視点の見学と違い、先生方のする話の流れ、例文の出てくるタイミング、話の広げ方等それぞれの意図が理解でき、それに対する学習者の反応を見ることで「こういうことか」と納得がいった。ここでも、私に足りないのは学習者の実体験や思考過程を想像することだった。また、遅まきながら見学前の準備の重要性を再認識した。
初級で4回、中級で2回の実習に挑戦したが、正直に告白するとあまり記憶が定かでない。声の小ささ、とばしてしまった項目があったことなど、実習後の反省で指摘されて初めて気付くことも多かった。中級クラスでは指名して作文してもらうことも目標だったが、学習者への遠慮とうまくいかなかったらという恐怖で結局最後までできなかった。また、熱心に授業に参加していた学習者が私の実習が始まって数分で退屈そうにし始めたり、自分が実習の中で「やった」と思っている事を先生に質問する姿を目の当たりにして、がっかりしたり力不足を痛感したりもした。それでも、納得して(と信じていますが…)大きくうなずいたり習ったばかりの表現を使って積極的に発言したりする姿を見ると本当にうれしかった。計6回の実習では、どんなに準備してもなかなかその通りにはできないということを思い知らされただけだったが、マンツーマンのレッスンとは違うクラス授業ならではの楽しさを知ることができたし、学習者の上達を目の前で感じることができるうれしさを改めて感じた。
今回初めて日本語学校という場所に足を踏み入れた私にとって、この3ヶ月間は発見や驚きの連続でとても充実した日々だった。一方で、思っていた以上におとなしい学習者が多いことにとまどいを覚えもした。日本語教師はスポーツジムやパソコン教室のインストラクターのような存在と考えていたが、日本語学校の日本語教師には、日本語の知識と教える技術だけでなく、その前に、中学高校の先生のような学生をその気にさせる術や熱意が必要とされるのだと感じた。自分にそんなことができるのかと自問する日々でもあった。それでも、ひらがなから始めた学習者がたった3ヶ月で一休さんの話を読んでクスリと笑うまでになること、中級でも臓器移植や死刑制度など難しいテーマで活発な議論ができたり、人前で聴衆を楽しませるスピーチができること、上級の聴解テープの穴埋め問題は日本人の私でも時間が足りないぐらい難しいことなど、毎回授業に参加するのは感動や驚き、うれしい発見がたくさんありとても楽しい経験だった。今後も、少しでも日本語を勉強したいと言う人の役に立てるように、少しずつでも勉強を続けていこうと思う。文法書とにらめっこするだけではない、どう勉強すればいいかの指針を得られた有意義な3ヶ月間だった。最後になりましたが、指導してくださった広瀬先生、阿字地先生をはじめ、授業を見学させてくださり、様々なアドバイスをくださった先生方、大切な授業の時間を割いて私の実習に付き合ってくれた学生の皆さん、本当にありがとうございました。